リデル、ライト両女史記念館

リデル、ノット、ライト顕彰会30周年記念事業子ども向け記念シール

子どもたちへ来館記念に左記のとおり、記念シールを作成しました。

デザイナー:木村美幸

The LETTER展~ハンナ・リデルの北米への旅~

映画『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』新たなる映画製作

リデル、ライト両女史記念館にて、ロケが行われた映画が、Denkikan(熊本市)で上映中! ※2月11日~24日まで

三浦綾子原作  山田火砂子監督

「われ弱ければ 矢嶋楫子伝」 常盤貴子主演

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記念館開館に関するお知らせ

令和2年5月21日より記念館を開館いたします。
開館時間:9時30分~16時30分
休館日:月曜日

熊本地震発生から4年が経過しました。地震により倒壊、改修工事も終わり令和2年4月4日、やっとの思い出開館できるかと思いましたが、新型コロナウイルスにより閉館。大変な時期を乗り越え、やっとのことで開館にたどり着きました。
改修工事により分かった新たな歴史、そしてグレイス・ノットの歴史を追加し、展示物も全てリニューアルいたしました。
まだまだ、感染予防の為の制限付きではありますが、是非来館ください。

概 要

開館時間午前9時30分~午後4時30分
休館日月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始
入館料無料
所在地熊本市黒髪5丁目23-1
連絡先TEL:096-345-6986
FAX:096-343-0476

来館者アンケート結果

令和4年度(2022年4月1日~2023年3月31日まで)

歴 史

回春病院が解散させられた跡地には、現在のリデルライトホームの他、当時の 面影を残す建物として、山林に沿った小高きところに白亜の記念館が残っている。大正5年、 ミス・リデルは「ハンセン病菌の本体の性質を医学的に研究することは治療上及び予防上、 最も必要なことであり、もし、ハンセン病菌のみを専門的に研究して、その治療上に貢献することを得るならば、それは単に一回春病院のた めのみならず、一般学術界に寄与すること多大である。」と考え、時の大阪府知事大久保利武氏の発 案で開催されていた社会福祉法事業研究会において、二回に渡り講演を行い、会員一同の胸底に終生 忘れることの出来ない感銘を与えたのであった。ミス・リデルの熱意はついに報いられ、大正8年、中條精一郎氏の設計によるハンセン病菌研究所が ここに落成した。そして、数々の研究論文が発表され、医学界に多大の貢献がなされた。 昭和7年 にリデル先生が昇天された後は、ライト先生も高齢になられたこと、古新屋敷の住まいと病院の距離 があること、経費の節約等を考慮されて、昭和10年秋、病院内の研究所建物の増改築を行い、その 二階に移り住まわれることとなった。その後、ライト先生が豪州へ退去され、戦後の昭和23年に再来 日された時には、室内の家具調度品は運び持ち去られ、あるいは無残にも破壊されている状態であった。 以後、昭和25年にライト先生が昇天されるまで、住居として使用されていたが、昭和26年にリデル ・ライト記念養老院が開設されると、一階を管理棟事務室、二階を遺留品等の倉庫として活用された。 昭和63年、社会福祉事業へ想いをこめた人達がリデルに引き寄せられるようにこの地に集まり、古 くなった老人ホームの再建計画が検討された。その後、具体的に補助金申請が始まると、当時、事務 室として使っていた現記念館の扱いが問題となった。それは、今まで通り管理棟として使用するのな ら管理棟分の補助金数千万円の減額を、新しい老人ホームに管理棟を設置したいのなら取り壊しをと 言うものであった。平成4年9月11日、リデルライトホーム理事会は、建物、遺品等の熊本市への 寄贈・寄託を決議、同年10月19日に熊本市の市長室で贈呈式が行われた。その後、遺品の整理、 建物の修復などを行い、平成6年2月3日に開館された。館内では、両女史が使った机や鏡台、大隈 重信からリデルに送られた手紙など数千点が展示されている。

ゆかりの品々

ページを開いているのは、ライト最後の日記と住所録。下段もライト日記とその右の気品ある小さい本は、リデルからライトに贈ったサイン入りの本。上は、ライトが1918年、軽井沢で購入したとサインしているHoly Bible(聖書)です。

扇には、1910年3月1日付で、リデルとライトのサインに、箕作・藤沢夫妻のサインがしてあります。左は、リデル愛用のハンカチ入れ(H.R.の銘入り)。右は、ライト使用の手紙セットで(A.H.W.の銘入り)。436Furu-Shinyashikiの銘入り封筒と便せんが、今も入っています。 ライトは、いつものきれいな字で、これに手紙を買いていたことでしょう。

1937年6月。ヘレン・ケラーは阿蘇へ行く途中回春病院に寄り、家族室で講演をしました。その時、ケラー女史とトムソン女史に花束を贈った少年・少女は今も健在です。ヘレン・ケラーは、ライトに「勇気あるすばらしい仕事を讃美しつつ」とサインして、著書を贈りました(1939年)。 この本はライトが、英語で対話していた若い友人澤正雄に、形見として贈っています。

1930年11月。貞明皇后(大正天皇皇后)から、リデルに贈られた純銀製の花びん。高さ213ミリ。草津にも同型の物があり、そちらは現在高松宮ハンセン病資料館に展示してあります。回春病院関係では、飛松・中川・安倍も硯箱を頂きました。 その翌年には、予防協会(藤楓協会)が設置されるなど、患者対策に大きな変化がおこった時の象徴的な遺品です。

この美しい小箱に、大小12ヶある印鑑の多くが入っていました。戦争中、回春病院跡を守った豊福が、印鑑保存用にしたのかもしれませんが、やぼったい木箱より両女史は、品のいい螺鈿の小箱を印鑑入れに使っていた可能性があります。「回春病院會堂」の方が、「院長印」よりも大きい。6角印の「禮徒」や小さい「ライト」の印。字の周りを飾った水晶の「里天“留印」があります。 小さいけれど大変おしゃれな色彩・デザインの「HR」の印が目につきます。

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