► 「個人尊重」徹底した自立支援

デンマークの高齢者・精神障害者福祉


二年ぶりの訪問だが、「生き方の自己決定」「生活の継続性の尊重」 「自己能力の開発」といったノーマライゼーションの徹底ぶりにあらた めて驚かされた。理念を異体化していく行動力には感心する。制度や仕 組みの逢いというより、国民一人ひとりの福祉に対する認識や考え方の 差を実感させられた。


g「お仕着せ」なし
首都コペンハーゲンから西に百二十キロ。オーデンセ市近郊の人口六千 人のコミューン(町)、ホービーで高齢者用集合住宅を見学した。日本 で言えばケア付き住宅。レンガ積みの平屋建てが四棟並ぶ。

それぞれの棟に十人ずつ入所。全室個室で介護福祉士、看護婦、理学療法 士ら三十八人のスタッフが常駐する。高齢者一人に職員一人の割合だ。入 所者一人当たりの占有面積は六十平方メートルとかなり広い。地元の「プ ライエム」(老人ホーム)に比べても倍以上だ。使い慣れた家具の持ち込 みもでき、お年寄りは落ち着いた様子でくつろいでいた。

利用料はもちろん無料。年金から食費や洗濯代などの雑費を支払っても小 遣いが残るという。ここ数年、デンマークでは「個人の生き方を尊重する 福祉」がさらに進んだ。「プライエム」の新設はなく、代わってこの種の 集合住宅が主流になっている。 「人生は三段階に分かれる。

=第一段階は教育のための時期。

=第二段階は仕事。そして、

=第三段階は生活の質を高める時間なんです。

私たちはそのお手伝い役」とスタッフの一人。そこには「老人」や「病人」 という視点はなく、あくまでも「個人」。体を十分に動かせないお年寄りば かりだが、スタッフの自立支援の意識が徹底しているためか、寝たきりの人 はいなかった。「お仕着せ」の介護はなく、棟内の静けさと病院臭さのない 清潔さが印象に残った。

g外出も自由
精神障害者の場合も、病院から在宅への移行が進んでいる。訪れたフュン県 の公立精神病院は七十年代に千百あったベッド数が、在宅治療体制の整備で 減少。現在は六十四床しかない。在宅治療を支えるのが、医師や看護婦、理 学療法士らによる地域精神医療班。自宅や集合住宅を巡回し、患者のケアに あたる。「社会的入院をとことん排除した結果、入院の平均期間は約一カ月 になった」と同病院の関係者から聞き耳を擬った。

精神障害の場でも、集合住宅が患者の生活の拠点になっていた。同病院の近 くにある集合住宅には、十二人が入居していた。支援センターに隣接してい るものの、住宅公団が提供しているアパート。しかも住宅地の一角にあった 。地域住民からの反対はないのか職員に尋ねると「最初は差別意識があった が今はない」と言う。

部屋は完全個室で、生活への拘束はなく外出も自由。常時、支援センターの 生活指導員が二、三人いて、投薬管理や日常生活のアドバイスなどを行って いた。患者もリラックスした雰囲気で生活を楽しんでいる様子。

地域精神医療班の巡回もおり、患者の状態訳第で入院などの判断をする。靖 院中心の日本の精神医療から見れば、地域レベルで対応ができている点は「 すごい」の一言だった。

余談に在るが、視察の合間に不注意で左足首を骨折した。救急病院に運ばれ たが、外国人の旅行者でも救急医療は無料。思わぬところで福祉国家の恩恵 を体験することになった。



► 「デンマークの精神医療」

デンマークの精神医療について,精神病院,地域精神医療班,精 神障害者集合住宅・生活支援センターの三点に分けて報告する。総 括的に述べれば,デンマークの精神医療は地域精神医療に重点がお かれ,ノーマリゼーションの理念に支えられていることが,印象的 であった。

=ミドルファー精神病院
この病院は国立精神病院として1888年に設立された。1970年には11 00床の病床を持っていた。1976年に国からフュン県に管理が移管さ れた。これ以降脱施設化が進められた。しかし当初は現実問題とし て多くの精神障害の患者はその疾患ゆえに退院できずコロニー的状 況で病院内居住状態にあった。

いわゆる社会的入院ということで20年以上在院する人が沢山いた。 これは精神障害者にたいしては入院治療が中心であるという伝統的 な考えの下で治療が終結しても在院する人が多かったことと,退院 してもコミューンに受け皿がなかったことによるものだった。

1980年代から,精神障害者の社会的適応のための・受け皿作りが県 ・コミューンで始められた〕1985年には病院にはなお500人の精神障 害者が入院していたが、その後社会復帰が促進され、1997年には75 床まで病床が減少した。そして昨年(1998年)病院の移転・新築が おこなわれ病床は64床まで減少した。

地域的には、ミドルフアー精神病院はフュン島(人口50万人)にあ る3か所の精神病院の一つであり、島の西北地区、人口10万8000人の 地域を分担している。病院内の構成は下記の通りである。

2単位の一般精神病床 38床 ・20床(個室)
               ・18床(個室)
1単位の老人精神病床   8床    (個室)
1単位の犯罪精神病床 18床    (閉鎖・施錠)


 64床
ディホスピタル    25床


病院の職員は20人の医師をはじめとして看護婦(地域精神医療班を 含めて)・ソーシャルワー・作業療法士・理学療法士・社会介護士 を含めて150人以上のスタッフがいる。 病院は治療・検査の機能に徹している。治療は薬寮物療法・精神療 法・作業療法が主体であるが,集団精神療法や心理劇等は行われて いなかった。病床は男女混合でありであり,一精神病棟は開放処遇 である。また病室はすべて個室であった。入院期間は・こ平均1か 月程度であるが1年以上の人院患者者もいる。犯罪精神病棟の場合 は刑期?が指定されていて,長期治療の可能性がある。この病棟は 閉鎖処遇であり、以前の建て替え前の病棟ではドアや窓が二重構造 になっていたり,管理の厳重さが目立っていたが,改築後はガラス を多用したりイメージを柔らかく配慮しているのが印象的であった。

入院治療についてはインホームド・コンセントに基づいて,医師から 治療内容についての説明が行われる。一方で強制人院あるいは治療へ の切替えもある。退院については自己決定を重視している。PICUにつ いてはフュン島ではオ-デンセに設置きれている。

入院患者では精神分裂病患者がもっとも多く60%を占めている。そ の他20%以上の気分障害(うつ病・そううつ病等)の他,10%位の ボーダーラインの患者も入院している。一般精神病棟の年齢構成は 22歳から65歳である。

入院が減少した理由については

=社会的入院が減少し、地域のなかで プライエムや居住区域に移っていったこと

=自己決定の推進

  =薬物治療を始めとして治療の進歩が あげられた。

g地域精神医療班


精神障害者の地域一在宅生活を支えるために地域精神医療班が,各自 治体に設置きれている。それぞれのブランチはミドルファー精神病院 に設置されたセンターで集約されている。したがって病院と同様にフ ュン県の西北地区人口10万8000人を地域としているが,ここを2つの ブロックに分けている。

1つはミドルファーを中心とした40000人の地域であり,もう1つは西 北地区からミドルファ-を除いた6800人の地域である。後者には9の 自治体を含んでいる。

病院におかれたセンターには,2人の精神科医と3人の地域精神医療看 護婦と臨床心理士がチームを作っていて,オフィスは病院に併設され ている。各自治体にはプランチの精神医療班が置かれていて,在宅介 護課の職員とソーシャルワーカー・看護婦でチームを作り,それぞれ 110~120人の精神障害者を担当している。なおこの段階では医師は家 庭医との連携が主となっている。

対象者の年齢は18歳から65歳の間であって精神分裂病患者が中心であ る。65歳以上は老人精神医療斑、17~22歳は青少年精神医療班が管轄 する。地域精神医療班の中に,生活共同体(集合住宅)・支持センタ ー・プライエム等が含まれている。

地域精神医療班に持ち込まれたケースについては,看護婦・ソーシャル ワーカーがケースマネージメントを行う。その地域の地方自治体と処遇 について話し合う。

障害者の居住の仕方などについては,当然当事者の自己決定が尊重され る。地域での日常の精神科的治療は家庭医が担当する,看護婦は定期的 に精神障害当事者に接触して,相談などを受る。月一回はケース検討を 行っている。

またチーム同士でのケース検討も行っており,医師はスーパーバイザー としてかかわっている。

gミドルファー地区の精神障害者集合住 宅と生活支嬢センター

これらの施設は地域精神医療班によって管轄されている。

住宅公団によって建設きれたアパー卜群の一画が.精神障害者のための集 合住宅として利用されており、その中に生活支持センターが設置されてい る。

当初 この施設への入居は精神病院から退院をした精神障害者の入居が主 であったが、最近は入院の経験がなくても入居する人がいる。

精神障害は精神分裂病患者が主であり、中毒精神病の患者は除かれる。人 居者は自己能力を最大限択に利用し、また自己責任で生活をしている。

ミドルファ-のこの集合住宅には6人の男性と6人の女性が入居している( 12部屋)、これに加えた1部屋は共通部分になっていて、生活支援センタ ーの機能を有している。一人当たりのスペースは60平方mである。入居者 (住民とよばれる)は住宅援助金がでており,総領4200クローネのほぼ半 額が支給される。その他年金支給があるので、住宅のためや生活全般の必 要な出費を除いて1200クローネ(20000+α円程度か?)が手元に残るこ とになる。



生活支援センターには5人の職員がいる。すべて看護婦資格がある。夜間の勤 務はない。あさ7時30分から夜9時までの勤務を分担している。金、土、日曜 日は午後1時から7時までの勤務となる 5人の職員が2~3名ずつ交代で,障害 者の生活支援をしている。薬の管理などの医療に直接関係のある事のみでは なく,買い物や金銭の使い方に至るまで,生活の支援をする。なお薬の自己管 理が出来る人は12人のなかで2人しかいない。

午前8時30分に支援センターの食堂で共通の朝食を出している。各利用者の部屋 にはホームヘルパーの派遣もある。12人の入居者の他に一般の住宅に居住して いる2人の精神障害者にたいしても,生活支援を行っている。

通院治療は家庭医によって行われる。1年間には入院を体験する人もいるが、 入院期間は3週間程度である。病院のショートステイ的利用は減少している。 就労は社会で生活をしていく条件とは考えていない。一方精神障害の人々の ためのワークショップが準備されていて,就労の準備や趣味を活かすことを 支えている。入居者の中には30年間病院への回転ドア的入院を繰り返してい た78歳の精神分裂病の女性も含まれている.

地域生活に対しての地域側からの反応として,それ以前に精神障害の人を受 け入れた経験のないことでの困惑があった。特に高齢者の人々からの心配が 多かった。従って一般の人々の意識を変えていくための情報の提供が大切で あろと考えている。

幸いミドルファー地区は長く精神病院があったので,比較的精神障害者へ の差別感が少なかった。生活支援センターで一番重要なのは,精神障害者 と日常的に具体的に接触していくことが必要であり,その上で障害者一人 一人が活動的になることを目指すことである。

なお夜間は職員に電話をしたり連絡をすることは禁止している。医療的なこ とは家庭医に連絡を取るようにしている。トラブルは警察に通報される。そ れぞれの利用者には日常的な給食サービスがあるが,週に2回は交流のため に食事会をしている。この住宅には,入居期間の制限はない。別に入居期間 間3年の生活訓練のための中間施設がある.これらの入居については,家庭医 からソーシャルワーカーに連絡があり調査をした上で,地域精神医療班の入 居審査で決定される。








► 「骨を折って分かったこと」

二年ぶりにデンマークに行ってきました。

私が滞在したのはポーゲンセという町ですが、ここはアンデルセン の生家のある、日本でいえば京都のようなオーデンセという古い都 市の郊外にあります。

この町に伝統的なデンマーク流生涯教育のための国民高等学校があ るのですが、ここを拠点としてデンマークの医療・福祉の状況を今 回も体験してきました。この学校の主宰者はデンマーク在住30年の 千葉忠夫氏です。彼とは私の娘がお世話になったことをきっかけに 知り合い、度々私たちのセミナーに来ていただいています。

さて、デンマークは先進福祉国家といわれるだけに大変行き届いた福 祉医療教育のシステムがあり、すべてが無料です。但し税金が大変高 く、直接税は平均50%、そして消費税は26%です。しかしこの国では 「高福祉・高負担」といわず「高福祉・高税」といいます。つまり税 は日本人が考えるような負担ではないのです。デンマークは個人主義 に根ざした民主主義国家であり、相互扶助がしっかり確立された社会 だからこその事なのです。

そしてノーマリゼーションの思想があります。これは障害者と健常者 がともに生きる社会という-般論を語った枚念ではなく、デンマーク 流にいえば「どんなに障害が重くても普通の生活にできるだけ近づけ ることがノーマルである」という一人一人の価債を大事にする具体的 な思患なのです。

これが実残されているからこそ、この国では高齢者には介護の社会化 が実現され、障害をもった人の地域生活が促進され、脱施設化が実現 しているのです。一人一人が大事にされている社会が目の前に見える のは、経済的に大丈夫なのだろうかというある種の毒を感じつつ、い つも驚きです。

そして今回の滞在期間中に骨折をしてしまいました。学生さん達とバ レーボールをしていての骨折でした。すぐに県立病院の整形外科に運 ばれて入院をしました。二日間ですが思いもかけぬ貴重な医療体験に なりました。

さすがにデンマークらしく外国人にもかかわらず医療費は無料でした。 (但し24時間以内の救急医療に限られますが)ノーマリゼーション3原 則である治療を受けるにあたっての「自己決定」、「生活の縦続牲」の 為に長期入院はさせないこと、そして看護のなかでの「自己能力の開発 」が印象的でした。

出来ることは自分でやることを原則にして、いわゆるかゆいところにか かわる手厚さとは違うかかわり方でした。2日の入院体験後は車椅子を 借り、その後の日程を変更せずにこなしました。一人一人が大事にされ ることといわゆる「手厚さ」とは別のことだというノーマリゼーション の基本を実感として理辞でさた貴重な体験でした。





► 「てんかんと社会生活」

てんかんは、その病名によって、いろいろな社会的不利益を得る ことが多い疾患です。てんかんのみならず、この社会では慢性の神 経あるいは精神の疾患が結果的にいろいろな面での差別があるのは 極めて残念なことです。

てんかんは、様々の原因によって起こす慢性の脳の機能障害です。 神経細胞の一時的な興奮によって発作が起こり、治療をしなければ 反復します。症状は一定ではありませんが、特に脳波の検査で確実 に診断ができる疾患といえます。

要するに「発作」を特徴とした神経疾患であって、その症状によっ て一時的に何ら心の形で意識がくもる状態であるという以上の何も のでもありません。その症状がない時にはまったく平常の状態です 。ただ突然そのような意識のくもりが起きるために、社会生活をす る上で障害があります。

したがって、発作をコントロールする必要があります。まず、てん かんで必要な対処は適切な医療です。

 てんかんの医療は近年急速に進歩しています。その症状である発 作はかなりコントロールすることができるようになってきました。 その理由は二つあります。診断の進歩と治療の進歩です。まだ根絶 というわけにはいきませんが、少なくとも大部分のてんかんについ ては、治療の進歩によって発作のコントロールが可能になっていま す。

それをささえているのは薬の進歩と考えられます。

確かに薬は副作用を常に注意しなければなりませんが、てんかんの 治療薬の場合には、血中濃度の検査法が確立しています。これによ って有効な治療のための薬剤の血中濃度の把握と副作用防止が客観 的に可能となっています。

治療の進歩とともに、てんかんの診断の進歩が、発作のコントロー ルに大きな貢献をしています。

的確な診断によって、発作がコントロールさらに完治する指針にな るということです。てんかんの診断には脳波の検査が欠かせません。 その結果と臨床症状を組み合わせ、的確な判断によっていくつかの てんかん発作については完治することさえわかっています。

もちろん、一方にはバラ色の状況だけではなく「難治」のてんかんが あることも事実です。しかし、てんかんをもつ人々の全体をながめる ならば、七ないし八割の人々は発作から自由になる状況にあることも 明らかです。診断と治療の進歩はこれらのことを確実にしているとい うことであり、もはやてんかんは治ることはないという過去の悲観主 義は捨てていただきたいと思います。

さて、てんかんに対してはまだ社会の中での伝統的な偏見があるのは 事実です。これは発作の有様に対する素朴な感情としていみきらわれ たこともあるのだと思います。また、治療に対する過去の悲観主義も 影響しているように思われます。

前に述べましたように、てんかんは発作病であって、それ以上でも以 下でもないのであり発作がコントロールされたなら、もはや社会的に も何ら制限を加えられる必要のない病気なのです。

ところが、てんかんという病名が、一度つけられることで社会的・法 律的制限が実際には沢山あるのも事実です。具体的には調理師になろ うとすると制限が加えられます。最近障害理解の中で少しずつ緩和の 動きがあるのは喜ばしいことです。

免許に関しては、運転免許に対する制限は特筆すべきことです。現在 の法律ではてんかんの病名故に、それがコントロールされているかい ないかはおよそ無関係に免許は取得できないことになっています。日 本をはじめいくつかの国を除いて、このような制限を課している国は 、少なくとも先進国の中では少ないといわれています。もちろん発作 が現に起きている人が運転をするのは危険であることは当然ですが、 コントロールされている人を含めて免許取得が問題外とされているの は不当なことだろうと思います。

残念ではありますが、免許取得については制限が法律的事実として あるのだということを申しあげておきたいと思います。

といって社会生活の中で卑屈になったり、自ら制限を加えないように して下さい。発作がコントロールされさえすれば、生活上では何の制 限の必要もありません。

よく学校では、てんかんの診断故に水泳が禁止されたり、いろいろな 制限をうけていると聞きます。きちんと治療をうけて発作がコントロ ールされているなら、堂々とすべての場面で制限をうけることなく学 校生活を送って下さい。そして、それが可能であることを学枚の先生 やPTAの皆さんはもちろん同級生の人々にも理解してもらうようにし て下さい。

学校だけではありません。社会生活の中で、てんかんの診断故の差別 が許されてはいけません。

あらゆる分野で制限されることのない社会生活を送っていただきた いと思います。

つけ加えますと、全国の組織として、「日本てんかん協会」という組 織が、てんかんをもった人々の権利擁護について、当事者の意志を代 表して着実に活動しています。当事者の方々で、一人で悩んでいる人 がおられたら是非この協会と接触されることをおすすめいたします。

尚、ご相談はピネル記念病院外来まで。

TEL 096-365-1133

平日午前9:00~12:00  午後1:00~5:00
日・祝祭日は休診







► 「老いを楽しく」

みなさん、こんにちは。今日は菊池黎明教会の献堂五十周年にお招きいただき、 その上に話までさせていただくということで大変光栄に存じております。よろしく お願い致します。

 私はリデル・ライト記念老人ホームの理事長をしておりまして、リデル・ライト 両女史顕彰会も支援させていただいております。また私はライト先生に抱っこして いただいたことがあるという、もちろん幼児期のことですが、貴重な経験がこざい ます。

 黎明教会が昭和二十七年にできましたころには、私どもの所には降臨教会の当初 の建物がまだ残っておりまして、その後二年位して今の会堂に建て変わりましたけ れども、以前の教会の建物は正面がスロープだったんですね。このスロープは車椅 子の人や体の不自由な人が正面から入ってもらうためのものだとライト先生がおっ しゃっています。私どもの降臨教会も黎明教会との深い関係の中で、また回春病院 から現在のリデル・ラィト記念老人ホームまでの歴史との関連でお付き合いをさせ ていただいております。

 さて、今日は五十周年の大事な日ですので、真面目に障害のお話をしようと思っ ていたのです。精神病の話をしながら、精神障害の場合、いわゆる「らい予防法」 と同時代的な沢山の隔離収容の例もあるし、スティグマとして精神病に対する偏見 に繋がっていくお話をしようと思ったのですが、今日はコンサートの前だからあま り難しい話はするなと、できるなら老人の話をやってくれとの指示がこざいました ので、急遽組み立て直しまして、お年寄りの話、高齢社会とは何なのかという話を させていただきたいと思います。

 みなさん、シーンとして真剣にお聞きでこざいますが、こんな状状態で一時閏も 続きますと、この後の関先生のコンサートに差し障りますので、これは前座という ことで気楽にお聞きいただきたいと思います。

 高齢化社会という言葉がこざいます。そこから化が抜けて高齢社会になりました。 そしていつの間にか超がついて、超高齢社会になりました。これは何となくそのよ うになったのではありません。ちゃんと論理的な理屈があるのです。六十五歳以上 のお年寄りが人口の七%いるのが高齢化社会で、一四%になると高齢社会になるの です。更にもっと多くなると超高齢社会になります。日本は一四%なんてとっくの 昔に過ぎてズバリ超高齢社会になってしまいました。

 この超高齢社会を象徹するが如く、百歳の方が大変増えまして、今全国に何人く らいおられるかこ存じですか? 五千人はとっくに過ぎて、一万人を超えたのは数 年前で、今や一万八千人です。そして極めて象徴的でありますが女性が多いですね 。七割は女性です。

女性はしつこく長持ちをするんですね。それに比べて男性は花と散るという感じで あります。どうして女性が長生きをするのかという話は後で触れます。

 現在百歳が一万八千人ですが、昭和三十五年頃には二百五十人位だったそうです 。昔は百歳以上なんて非常に稀です。稀といえば古稀といいますね。「古来稀なり 」で古稀ですが、今や稀じやないですね。七十歳なんて多くの人がなりますから古 稀なんて名前を変えて「古額」なんて名前にしたらいいかもしれません。

 以前、泉重千代さんという方が百二十歳で、稀なる人の象徴みたいになりまして 、重千代印の焼酎はできるは、重千代さんに触りに行くツアーまでありましたよね 。しかし、今は百歳さえも当たり前になってきました。ブームになりましたきんさ ん、ぎんさん以外にも百歳以上の人がとっても増えてきて身近なことになってしま いました。

 平均寿命は女性は八十四歳、男性は七十七歳です。

高齢まで生きることが当たり前になってきました。そして超高齢社会になると、年 をとっても簡単にお年寄りと言えない時代がきたということを知っていただきたい と思います。

 老人というのは今は制度上六十五歳です。しかし、六十五歳で自分が老人と思わ れている方はおられますか? 絶対的な老人の尺度はないのです。老人の日という のがありますが、これが日本で最初に開かれたのは昭和二十二年です。兵庫県のあ る村で老人会、老人の集いをやったんです。その時招待されたお年寄りは五十五歳 からだったんです。私も今年この歳なのでギクリとします。昭和二十二年頃の平均 寿命は男性が五十歳、女性が五十三歳です。ところが戦後五十年以上たって、六十 五歳という年齢を老人と考えられないくらいに高齢の方が増えた。逆に考えればこ んな豊かな社会はないのではないか。年寄りが増え過ぎたという人がいるが、長く 生きることのできる人が増えているのはいいことで、当たり前に喜ばなければなり ませんよ。

 日本の近隣諸国で、こんなに高齢の社会はありません。我が日本は世界で最高の 長寿国なのです。私の好きな、あの先進福祉国家のデンマークでさえここまでいか ないですからね。だからこれほどの超高齢社会を達成した日本という国は大したも のだ。すこいことを達成した豊かな国とも言えると思います。

 ただ、確かにこれだけお年寄りが増えてくると、医療も福祉も生活全般が全部若 小者に頼られますと、とっても辛うこざいます。介蓑保険を含めてこの辺をどうし ていくのかがこれからの問題です。また老人は六十五歳からであるという考えは変 わってくると思います。すでに高齢者を六十五歳から七十五歳までと、七十五歳以 上とに分けよう、要するに七十五歳以上が本当の年寄りで、六十五歳から七十五歳 の人はそこそこの年寄りとしようという話があります。六十五歳から七十五歳まで をヤング・オールド、ヤングなオールドですよ。そして七十五歳以上をオールド・ オールド、本当のお年寄りとしよう。ただオールド・オールドという患いかにも相 当老けているという感じですが、いずれにしても七十五歳が将来の高齢者の分岐点 のポイントになるでしょう。

 こういうと、福祉や医療制度の後退に加担していると言われそうですが、老人の 概念、イメージは変わっていくものである。必ずしもずっと六十五歳かどうかわか らない、戦後すぐには五十五歳だったんですよ。

織田信長が本能寺で死んだ時には、「人間五十年」と言って死んだんです。その頃 は五十歳は年寄り、そしてもっと昔にさかのぼれば四十歳を年寄りのはじめと言っ たんです。だから惑わないから不惑の年と言ったんです。「四十になったら悪わず 」と昔は言ったんです。それがどんどん延びていって六十五歳なんです。

だからおそらく今後は七十五歳になるでしょう。

 もう一つは、アメリカから入ってきている考え方ですが、エイジズムという、年 をとったからといって差別するなという、これは障害者差別や男女差別の問題と同 等のことと考えられています。年をとっても年をとっているということだけを理由 に差別してはならない、ということです。そうなってきますと、高齢だ高齢だとい って特別扱いされるものではない。だんだんそういう時代になっていくのだろうと いうことを申し上げておきたいと思います。老いのイメージが変わってくるであろ うということであります。日本はそういう意味でも世界の先進国となっていくと思 います。

 そこで老いということでありますが、私が皆さん方先輩にこういうお話をするの は申し訳ありませんが、老いとはどういうことなのかということを少し考えてみた いと思います。

 突然の話ではありますが、エビは漢字で海老と書きますね。私は海老が嫌いです がそれはそれとして、要するに海の老と書きますけれども、何故エビを海の老と書 くかこ存じですか? そうです。老というのは曲がっているのが象徴、老という漢 字は腰の政がったお年寄りが杖をついている姿からできた漢字です。老というのは 衰えていくイメージなんです。衰えて、折れ曲がって、そうなった状態なんだとい うことから、老という漢字ができた。老のマイナスイメージです。

 しかし、今日はそれとは違った老いのイメージがあるということを是非頭に入れ てお帰りいただきたいと思います。まず第一に、老いということの中にあるのは経 験ということです。老いとは老いること‥・それは「追う」追っ掛けることに通じ ます。老いというのは追っ掛けなければならないくらい先をいっている経験をもっ た存在を表わしています。語呂合わせみたいですけど、老いるといったらオイル、 油だから心に火をつければ元気になるといった駄洒落とはちがいます。

 老うというのは追うこと、追っていくくらい先にある経験なんです。最近痴呆 が問題になっています。いの頭で考えたことはそのまま現実の中で達成しないと 気が済まない。あるいは人を信じてとことん閑わらなければ気が済まない。そう いういい人が、うつ病になりやすい。逆にいえばとても性格のいい、うつ病にな りやすい人にこの社会は基本的に支えられているといっても過言ではありません 。もっと言えば産業構造だってうつ病的状況で支えられているのです。

 例えば、日本の車を考えてごらんなさい。外国の車に比べると数段緻密で、金 太郎飴のように同じものを造れるでしょう。だから修理をするときにパーツがど れもすぐにぴったりと合うのですよ。これこそ典型的なうつ病体質と言えます。 まさに日本民族はうつ病になるために出来上がった民族といってもいいくらいで す。几帳面でいい加減が許せないのです。そして伝統的に滅私奉公という言葉が あるように、自分のペースはさておいて人に尽くすという美風を持っています。

ところがこれがうつを招く近道にもなっているのです。言い方を変えれば、うつ になりやすい人は「付き合いがよくて、頑張る人」と言えます。付き合いがいい のならそれは外向的で陽気な人じやないかと思われるかもしれませんが、付き合 うということは、自分のペースを抑えて人に早くし合わせていくことでもありま すから、付き合うということは一方では自分を不自由にすることでもあるのです。  そして、日本人は頑張るのが好きですよね。何があっても頑張る。新婚旅行の 見送りをしても「頑張れ」ですもんね。何を頑張らせるのでしょうね。この頑張 りというのはいいのですが、これはここ一番頑張ることで活きてくるのです。と ころが、いつもいつも頑張らせようとすれば、疲れてしまいます。強弱がなくな ってしまうのです。いい意味でのいい加減がないんです。これがうつへの近道に なります。

 ところが、真面目な人がいい加減という言葉を開くと、いいかげんとは何とい うことを言うのだと怒ります。ところで皆さんはお風呂に入りますよね。あつ湯 が好きな人、ぬる湯が好きな人それぞれですが、どつちにしてもその人のいい湯 加減で入りますよね。いい湯加減から湯を引いてごらんなさい。いい加減になり ますでしょう。いい加減なんですよ。

 自分にとってのいい加減を見つけること、自分のほどほどを知るということで す。いい加減を身につけること、これがまず一番目です。

 さて、二番目に大事なことは『表現をする』、あるいは『発散する』というこ とです。発散というと誤解されやすいですね。車を暴走して発散されると困りま す。表現、自己表現です。付き合うということは、自分を抑えて自己表現を少な くすることにも通じます。

だからうまく自己表現する。これを悪度や言葉でうまくやることが必要です。人 前でできないなら、河原に行ってあの野郎、こん畜生と言ってもいいのです。

 表現の方法として趣味を持てと良く言いますね。だけどこれも良し悪しです。 趣味を持つということは、ある意味では自分を不自由にする行為です。特にうつ 病になりやすい人は、趣味に真面目に取り組むのですね。また、そういう人に趣 味を持てというと、その帰り道でカルチャーセンターに寄られて、いろんな講座 から必死で選ぼうと真剣に格闘してかえつて落ち込むのです。表現はあくまでも 自分のペースです。

 三番目は、『伝える、伝わる』です。コミュニケーションのことです。これは 女性は上手ですが、男性はまだ上手じやない。コミュニケーションとは双方向が 大事なのです。会社などで指示・命令がありますね。

これはコミュニケーションではありません。

 また、阿呼の呼吸と言いまして「お-い、お茶」と言わずとも、座って咳払い をすればスッと必要なものが出てくるという、絵に描いたような関係であります が、この関係に甘えていますと、最近流行の熟年離婿ということになります。永 い間仕事を頑張って、退職して、花束を持って家に帰ったら、入れ違いに奥さん が出ていったという話が本当にあるのです。コミユ二ケーションは双方向、なん でもかんでもきちんとキャッチボールをしておくことが必要なのです。

 一方で、単身赴任というのがあります。単身赴任は長生きしないなんてショッ キングな話がありますが、これはコミュニケーションの問題もあるのです。その 解決法、それは独り言です。何でもいいから喋りましょう。他愛のない話がコミ ュニケーションでは重要です。家に帰る前に今日は奥さんに何について語ろうか なんて考えて準備をする人はいないでしょう。この他愛のない話を一人の時もす るんです。今日の飯ほうまいねとか、俺の料理はプロ並みだぞとか何でも独り言 を言うのです。独り言は人に見られると変な人だと思われるので見せないほうが いいかもしれませんが、まあいいじやないですか。わゆる「呆ける」ということ ですが、この呼び名は感じが悪いですね。しかし代わりの言葉がなかなか見つか らずに一般には良く使われていますが・・・。私のワープロは地方自治体と打っ ても「痴呆自治体」と出てきて因っているのですが…。

 この痴呆の状悪になると、最近のこと、あるいは今やっていたことはとても忘 れてしまいますが、昔のこと、あるいは昔経験したことはよく覚えられています ょね。今日の朝食べたことはきれいに忘れてしまつていても、昭和二十年八月十 五日の玉音放送を聞くために暑い中ラジオの前に立っていたことは良く覚えてお られますよね。

 まさに痴呆の状悪でも経験の蓄積なんですよ。たくさんの定験から余分なこと を削ぎ落として、自分のいちばん確信のところを残して生きていることが老いで あって、.たとえ痴呆であっても老いということでは同じ価値の中にある。そし てその経験は追っ拗けなければならないほど前にある、ということをまず指摘し ておきたいと思います。

 そして同時に、老いとは結晶化ということだろうと思います。このことは苦か ら日本では具体的に使用していたイメージなんです。といいますのは大河ドラマ を引き合いに出すまでもなく、例えば江戸時代には大老という地位がありました。

その他に老中あり、家老があり、若年寄なんていう地位もあります。若年寄という のは若いくせに年寄り臭く振る舞うことの意味ではありません。あれは今でいう なら内閣官房長官みたいな地位で、大老といったらとことん年をとっている人を意 味するのではなくて、総理大臣みたいな地位の人でしょう。大老といえばあの桜田 門外で殺された井伊直弼が有名ですが、四十代の人ですよ。とてもじゃないけど大 老、すこく年をとっている人ではない。

 この場合の老いはいろいろな権力が集中していっている場所、地位、要するに結 晶化していくところなのです。まさに老いとは結晶化であって、同時に経験が蓄積 &れていることそのものを表しているのです。老いというのは弱っていく、老いさ らばえる、朽ち果てていくことのみを意味しない。そして痴呆の状態でさえ、一つ の結晶化した姿、生きざまではないのだろうかと思います。

 ところが、老いに至るためには長く生きなければなりません。そしてそのことで 経験が豊富になっていきますが、良くも悪くもいろんなことが、長ければ長いほど 、いろんなしがらみ、いろんなことが加わっていつて、今度はその経験故に悩まな ければなりません。

いわば経験過剰がストレスも多くなってしまうことになってしまうのです。年をと っていくのは、体もいたわらなければなりませんが、ス・トレスのために心も癒さ なければならないのです。

 さて、ストレスというのは良く使われる言葉です。

そしてマイナスイメージとして使われ、よくストレスを無くすといいますが、スト レスは無くなることはないのです。むしろストレスがあるというのは生きている証 拠なんです。寝ていようが醒めていようがストレスはあります。いや、寝ている時 にはストレスはないとおっしやるかもしれませんが、悪夢に悩まされることもある でしょう。決して寝ている時にストレスがないとは言わせませんよ。ただストレス はずっと担いでいるのが辛いんですよ。だからストレスは無くすことはできないけ れども、うまく凌ぐ、うまく解決させてしまうことが重要になってくるのです。

 要するに、ストレスをうまく解消するにはどうしたらいいのかというのがこの後 の話になるのです。

 お配りしたプリントを見ていただきたいと思いますが、左のページはストレス解 消法、右のぺ-ジは長生きの象徴であるきんさん、ぎんさんの生活の知恵十一力条 です。これはどうぞゆっくりこ覧になってください。要するに絶対無くなるはずの ないストレスを、どうすればうまく凌いでいくことができるのかというのがポイン トなのです。

 まず、ストレスの対処法の一番目は、なんと『いい加減に生きよう』ということで す。なんといい加減な話だと思われるでしょうね。その怒りが伝わってきそうです。 しかし普通日常で使う「あいつはいい加減なやつだ」のいい加減ではなく、よい加 減なのです。

 人は真面目に、真剣に生きていこう、あるいは物事にかかわろうとします。とても 大事なことです。しかし人間は完全な生き物ではありませんから、百%正しく、或い は思いどおりに、あえていえば「真実一蹄」だけでは生きていけませんよね。それで も百%でがむしやらに生きようとして、がんばって生きた結果の一つがうつ病という 結果になることがあります。

 うつ病になりやすい人は、いいかげんがなかなかできない人といえます。とにかく 真面目、几帳面、自分 四番目は「一人で背負わない。いつも背負わない」ことです 。自分一人でできることはそんなにたくさんあるわけではないよということです。こ れも誰でもわかっているのだけれど、やめられないという事です。

月月火水木金金の世界でもあります。

 これで象徴的なのはテクノストレスです。これは機様に人間が支配されて人間味を 失うことと思っている人がいるかもしれませんが、むしろ典型的にはコンピューター から離れることができない状態を指します。

最近の職場はコンピューター一色です。その中にいると次第に休み時間も休日もその 前にいないと落ちつかなくなり、不安になってしまうのです。

 ずっと一人で背負うことでストレスは一段と解決されなくなります。そこで生活の 中で切り替えをすることが大切です。休みの日には山に行け、海に行け、気分転換を しろ、ただしコンピューターを見に電気屋には行くな、電気屋に行って会社と同じコ ンピューターを買って自慢している人は、そのうちに私の外来に保険証を持ってやっ てくるのです。

 次は『アパウト思考』です。話半分という言葉がありますが、話のすべてをいつも 覚えている人はきっと超能力者です。人の話なんて概ねいいところだけかい摘んで聞 いているのですよ。もつとも全部聞いていない〕、あるいは忘れてしまう人もいます が。

 例えば、連続大河ドラマを見ていても、最初から最後まで一字一句のがさず見たと いう人はいないでしょう。間にトイレに立ったり、居眠りしたり、電話がかかってき たり、極端に言えば最初と最後だけ見ても今日のは面白かったと思えるのです。これ がアバウト思考に通じるのです。

 話半分の世界です。しかし、半分だといい加減を嫌う人は許せないんですね。だか ら私はこう言います。

「半分五割がいやなんだろう。ならば六割にしてやろう」。六割なら試験はだいたい 通りますし、安心できる数字です。この六割をコマーシャルベースにのせて大成功を したのが焼酎のお場割りです。

 六‥四というのは昔からあった普遍的真実と思われている方もいるかもしれません が、あれは焼酎メーカーの陰謀です。六‥四のお湯割りにしたんです。七‥三でも五 ‥五でもいいんです。だけど六‥四のひぴきはいいんですよ。うまいですね。六とい うのは何かしら達成感があるんです。ろくなことはないと言いますが、六でいいんで す。これから人の話を聞くときは焼酎の六‥四のお涛割りと思いつつ聞いてください 。これがアバウト思考ということです。

 そういうことも含めて、次に『自分のべ-スを大事にする』ことが重要です。最初 予告しましたが、なぜ男性より女性のほうが長生きな.のか、それは自分のペースを 作るのが上手なのです。男性の動き方は程よさにおいて女性に負けています。そして 女性は今のところナンバー2タイプ的な、自分のぺ-スを大事にする動き方が上手で す。しかしこれからは大きな差がなくなってくるでしょうね。男性、頑張りましょう 。

 その次に、『甘える』ということが重要であることを知っておいてください。甘え るという言葉にはマイナスイメージがありますよね。しかし甘えなければ人は育ちま せん。最近改めて子育てが問題になっていますが、甘えるという自然な感覚より、理 屈っぼい理性的論理的感覚が優位に立って子育てがなめらかに機能していないようで す。

 甘えるということほ、自分の欲しいものを、相手にうまく表現して上手に引っ張り だしてくることです。

生きかたのしなやかさに通じることです。生きていく上では、このしなやかさと、そ してしたたかさをも必要となります。なにやらもっと人が悪くなるように勧めている ようですが…。

 結局、今日のお話の行き着くところは、ほどはどということ。ほどほどのバランス がストレス対処に重要であるという平凡な結論になります。そして、それを一言で言 えば「いい加減」をうまく振る舞おうということです。いい加減なやつのいい加減で はなく、自分にとってのよい加減としてのいい加減を身につけていくことが重要であ ることを結論として、次のコンサートの前座としての「いい加減」なお話を終わらせ ていただきたいと思います。どうもありがとうこざいました。

  (収録=2002年川月加日 於恵楓会館)

「なお、この原稿は菊池恵楓園入所者自治会機関誌{菊池野}2003年2月号に掲載されたものです。」

Copyright © 2016 Yoshisuke Ogasawara All rights reserved