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► この日初めてハンセン病者をみる

明治26年4月3日、友人となった第五高等学校の教授達に誘われてリデルは、本妙寺に 花見に出かけた、その日、空は晴渡り、桜並木の花は今を盛りと咲き誇っていたが、その 花の下に、悲惨な姿でうずくまる姿を認めたとき、彼女は衝撃をうけた。  彼女は携えて いた「日々光り」4月3日の欄外に、「この日初めてハンセン病者を見る。」と記し、こ れらの病者にたいし、政府は何の援助の協力もしない実情を聞き驚き、悲しむと共に、こ の病者の苦しみを救うことを決意する。

► 回春病院の設立

ハンセン病を救済するための病院をつくることを決意したリデルは、英国の親戚、友人知 人に、計画を打ち明けて賛同と援助を求めた、中には敬意をもって援助した人もすくなくな かったが、多くの者は、1外国人女性の力に及ぶことではないと反対した。みずからの使命 を確信していたリデルは、私財を投じてこの事業にとりかかった。ついに明治28年11月 12日、病院が開設した。名前は、暗黒の人生に再び希望の春を回り来させることを念じて、 回春病院と命名された。

  

► 国を動かした演説

明治38年、日本は日露戦争で大国ロシアに勝った。今まで英国でリデルの慈善事業を応援 していた人達が、「日本は強国になったので今後は応援する必要はない」と送金が中止された。 リデルは非常に困り、時の総理大臣大隈重信に、援助を求めた。大隈は渋沢栄一と相談して、 日本橋の銀行会館で、画期的なハンセン病救済講演会が開かれた。出席者の中には、大隈伯爵、 清浦子爵、渋沢男爵、島田三郎、頭本元貞、内務省からは、窪田衛生局長などがおり、三井、 岩崎、古河、大倉等の富豪の代表者も見えた。この時、リデルは、「日本が駆逐艦一雙の費用 を転用すれば、この国のハンセン病問題は解決する」と提言したことは有名である。ついに、 これが動機となり明治40年、らい予防法の発布となった。


► 納骨堂

昔のハンセン病患者は、その病のために世間から圧迫され、嫌悪され、唯一の安息所である 実家にさえ再びかえることを許されなかった。しかもこれらの病者を出した家庭ではこれを 一門の恥とし、世間に隠し、もし病者が永眠したときでも、遺骨をその家庭に入れることは 許されなかった。「私が死んだら遺骨はどうなるのだろう?」患者の声は、悲痛だった。リ デルは、これらの遺骨を葬るべき墓地を院内に設立しようとしたが、法律に抵触し許可がお りず、それに変わる納骨堂の建設が施工された。これを見た患者達は歓び「これでもう思い 残すことはない。私達は自分の家庭から見捨てられたが、私達の友と一緒に永遠に、安らぐ 場所が出来た」といった。ある方がリデルに案内されて納骨堂を参観したとき、中央の正面 に空位があったので「ここは?」と聞くとリデルは「私の骨を納める所です」と答えた。ラ イトの遺骨も又ここに納められている。


► 日時計

大正13年東宮殿下御慶事に際し、銀杯、金一封の御下賜をうけたリデルは、この栄光を永 久に記念するため一基の日時計を建設した。「日々の糧」運動回春病院の患者と、院外多数の ハンセン病患者に光明を与えんとするリデルの事業に、多額の費用を要したことはいうまでも ない。病院に基本財産があるわけでなく、ただ友人知己の同情と、その援助にのみ頼った病院 経営にリデルの苦心はじつに甚大なものがあった。ある御婦人が御自身の誕生日を記念せんが ために病院の食費に1日分を、今後永久に負担しようと御発議されたところ、御友人の方々が、 結記念日、お子様の誕生日、又は、長上の御永眠の日など特別の意義を有する日に1日又か数日 の食費を負担しようと御同意くだされたので、「日々の糧」リ-グなるものが成立した。

► 院外活動

群馬県草津温泉は古来万病によく、皮膚病に特効があると伝えられていたので、西の有馬温泉 と共に日本の代表的温泉として著名であった。不治の病といわれ、天刑病とさえ称されて世人 に嫌悪され、日夜悩んでいるハンセン病患者達がこれを聞き漏らすはずがない。一縷の希望を 抱き、当時交通の不便な草津へ徒歩で、あるいは馬で、多数の患者がやってきて、その数は数 百人にも及び、一集落を形成するに至った。彼らは病を治し、苦しみから逃れんがため努力に 努力を重ねたが、その期待は裏切られ、彼らが最後に到達したのは自暴自棄であった。彼らは 酒を求め、賭博に耽り、あらゆる罪悪が至る所で行なわれた。このようにして草津湯ノ沢は暗 黒の巷と化し、警察当局も策の施しようがなかった。しかし、彼らをこのような境地に落とし たものは、彼らが感染した病であって、その病を持たなかったら、善良で幸福な国民なのである 。リデルは、彼等の実生活を視察しようと、明治33年姪のライトと牧師を伴い草津の赴いたが、 リデルの眼に映った実情は、想像以上のものであった。リデルはその悲惨な有り様をみて泣いた。 そして祈った。自分はハンセン病患者に光明を与えようと熊本回春病院を創立したが、収容した 少数の病者だけでなく、日本国内に散在する数万の哀れな人々を肉体的にも精神的にも幸福にし なければならない。自分は特にこれに当たるべく選ばれたのだから、熊本からは遠隔の地であり 交通の不便な所ではあるが、万難を排して目的を達成しなければならない、と決心した。リデル は回春病院付き米原牧師を草津に派遣した。米原牧師は松村館に投じて直ちに病者慰問に着手し たが、人々は、病者の客引きに来たものだと曲解し、それを触れ回ったので、講演会の会場さえ 提供するものがなかった。これを伝え聞いた一人の病者M氏は周囲の反対を押退け己の居室を講 演会その他のために開放した。米原牧師はM氏の居室を本拠として、しばしば集会を催し、個別 に慰問した。旅館側の妨害と、ある村民の激しい迫害のうちにも、慰安に飢え、愛に渇いた多数 の人々は、教えを聞こうと競って集まり、遂には1つの信仰団体が組織され「光塩会」と命名さ れた。文書で絶えず草津在住の病者達に精神面の修養を促し、あるいは物品を送って慰安を与え ていたリデルは、大正3年M、Kの両氏を同地に派遣、両氏が滞在した1カ月余の間に、熱心な 祈りと努力により人々の生活は一変した。感謝と賛美の声が至る所で聞かれるようになった。リ デルの誠意は遂に理解され、猜疑は転じて感謝となった。たまたま群馬県警察部長が草津を視察 し、同地の状態の異常な変化に驚き、官憲の力を以てしても改善出来なかった、人々の日常生活 を、このような状態まで向上させたリデルの感化力と、その派遣教師の熱意ともに賞賛の辞を惜 しまなかった。ミス.コ-ンウオ-ル リ-は大正5年この地に居を定めて病者の友となった。 リデルはコ-ンウオ-ル リ-の高潔な人格に惚れ同地における総ての事業は、コ-ンウオ-ル リ-によって経営されることとなり大正5年5月リ-女史によって聖バルナバ医院が開設された。 もっと詳しくお知りになりたい方は、こちらまで。

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