ホーム > 歴史 > リデル女史

► 大隈重信(1838-1922)   伯爵、政治家

彼がリデルを後援しなかったら、いったい日本におけるハンセン病へ の取り組みはどんなに遅れたであろうとさえ思うほど、彼を後援者にしたリデルの手腕を 高く評価せずにはいられない。伯爵大隈重信は、早稲田大学の創設者であり、明治期の日 本の政治家として最も有名な人物の一人である。彼は明治38年(1905)回春病院の 拡張時に院内美化の為桜、カエデの苗各数十本を寄贈したのに始まり、リデルが病院の財 政危機の時に相談をしたり、政治的にも、人道的にも協力を惜しまなかった。

► 渋沢栄一(1840-1931)  男爵、実業家

日本で最初の株式会社をつくったり、日本の銀行制度の創立者として 知られる渋沢は、今日では、慈善事業の点でも有名である。実業界にたいして大いなる影 響力を持っていた彼が、大隈と呼びかけをして集まった、政財界、マスコミのメンバ-に 対しリデルが演説、心を動かせたことは、ハンセン病対する日本の大いなる転機となった。

► 児玉源太郎(1852-1906)   陸軍大将

日露戦争の時、陸軍の名参謀長であった児玉源太郎大将は、毎朝早く 営外に出て満州の野に立ち、久しく瞑想した後にポケットから一小冊子を取りだし、常に これを熟読しておられた。部下達は「参謀長閣下の神謀知略は、あの小冊子から生まれる らしい、あの書物は何だろう」と噂しあったものであった。
 日本基督教学生青年会総主事のフィッシャ氏はこの噂を伝え聞いた一人であったが、 後年児玉大将に面会した際、その書物が何であったか訪ねたのであった。児玉大将の答え によれば、以前旅行中に汽車の中で一英国夫人と同席したことがあった。旅のつれずれに その婦人と語り合ったが、婦人が一小冊子を取りだし「これは私が友人と翻訳をした”天 よりの日々の光”です。ご覧下さい」と贈られたのである。その婦人こそリデルであった。

► 本田増次郎(1865-1925)   第五高等学校教授、東京高等師範学校教授

嘉納治五郎の柔道愛弟子、外交官の仕事に携わり、天皇親書の英訳な どで、知られる。リデルは、回春病院を開設する構想を本田、金沢、芳賀に相談、本田ら の謙信的な調査、協力がなければ、これほどの業績を残せなかっただろう、回春という名 称も本田の助言によるものである。リデルが本妙寺で、ハンセン病患者を初めて目にした 時も同行している。第1次世界大戦ベルサイユ講和会議に西園寺全権の秘書として、原敬 首相に特命され出席。熊本を離れても、回春病院評議員としてリデルを助ける。作家山本 有三の岳父。

► ジョン・ バッブス・ブラントラム(1858-1900)

1891年当時熊本在住司祭,ケンブリッジ出身で開港地以外に住んだ初め てのCMSの宣教師だった。リデルとノットを熊本で出迎えた。明治31年(1898)より半年間 五高英語教師を勤める。

► ミス コンウオ-ル・リ-(1857-1941)

イギリス生まれ、カンタベリ-の生家には、一族専用の礼拝堂もあり、 司祭も定住していた。生家の地一帯は、ハイ リ-と呼ばれ。「生まれながらの貴族であっ た。」 1908年SPGの自給宣教師として来日、草津におけるハンセン病患者の実情を聞くと 1915年、草津を訪ねた。患者の為働くことを決意し、帰京後、慰廃園にかよい、看護や治 療法を学んだ。1916年草津に移り、草津聖バルナバル教会、医院、小学校などを設立する。 1923年当時の草津町長が、書いた調書に、リ-について「ハンセン病患者にして、死去す るものあれば、女史は、それがいかなる醜状の重症者といえども、自ら手を下して、屍体 を洗い清め、入棺せしめ、嫌がる気配もなく全く常人のなし能わざるところなり。」と書 いてある。

► 田尻寅雄(1866-1947)   医師、回春病院初代院長

熊本県玉名郡の医者田尻宗彦の二男に生まれる。五高医学部で医学を 修め、東京、北里伝染病研究所で研さん、1895年当時キリスト教徒で、しかもハンセン病 に詳しい医師はそうたくさんいたはずもないが、父が高齢の為、故郷の天水町に帰郷開業 していた。田尻医師が週に一度、無償で来院し、診察と設備の充実に貢献した、又彼の妻、 安枝は原敬内閣時の政友会幹事長江藤哲蔵の妹であり、リデルの政界への橋渡しも十分に 想像できる。回春病院の最初から最後まで医師、又評議員として関った数少ない1人。俳 優笠智衆の回想録にも、名前が見える。

► 三宅俊輔(1854-1926)   医師、回春病院二代院長

島根県の医者三宅雄仙の二男に生まれる。明治7年(1874)上京、桑 田家塾で医学を修め、故郷に近い津和野町で開業した。明治14年(1881)受洗し、以後医 療と伝道とにしたがうこととなった。
 明治26年長崎に移転、医療伝道のかたわら東山学院で神学を研究した。翌年より鹿児島 に伝道師として赴任。明治30年(1897)リデルから招かれて回春病院に赴任、院長の職に あること30年の長きに及んだ。彼は院長というより患者のよき友であった。どんな人にも わけへだてせず、いつも顔には笑みをたたえ患者からは慈父と慕われた。その徳のある人 格で患者や病院をささえた。

► 飛松甚吾(1883~1945)

大分県出身,リデルの秘書として、常に側近にあり、事実上病院内外 の事務財政の一切を担当、関係官庁との折衝、国内各界の援助要請のための渉外活動など 、リデルを助け、或ときはその代行として疾走した。リデルの死後は、ライトのもとに勤 務を続けた。1934年発行の「ミス ハンナリデル」発行については、編集、執筆に心血を 注いだ。
 第2次世界大戦開戦まじかの1940年、ライトのことをたずねたいとのことで、突然、特 高警察に連れ去られ、なんの取り調べもなく3カ月も拘留された。この間の精神的肉体的 衝撃は大きく健康を害し、釈放後も病床についてしまった。その生涯を回春病院に捧げた と言っても過言でない。顕彰会元会長の高見多恵子女史は息女である。

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