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► ハンナリデル ~Hannah Riddell~

父は軍人、ロンドン郊外のバーネットの軍隊宿舎で出生。若き日に将来の社会事業家としての基礎となる体験をした。イギリス国教会伝道協会の伝道師を志願し、日本伝道を命じられ、任地熊本へ到着(明治24年)。ここで後に「はじめて患者を見た」とその日の感動をメモに記したハンセン病患者との出会いがあった。明治28年11月12日、日本におけるハンセン病救済活動の草分けの一つとしての回春病院を設立した。  彼女は、社会福祉の偉大な組織者であった。その大きな力によって国のハンセン病対策の具体化にむけて寄与するとともに、救済活動の技を日本各地に伸ばしていった。また彼女は活動にあたって「分かち合い」の精神を貫いた。伝道師の役割を捨てて、患者と心身ともに分かち合うことに自らをささげた。そして先駆的なバリアフリーの実践としての病院内のスロープの設置に象徴されるように、分かち合いを具体化していった。  彼女の精神は、そのことによって当時の日本社会の中で心からの賞讃をもって受け入れられたのである。>MORE

► グレイス・キャサリン・ニール・ノット ~Grace Catherine Neil Nott~

リデルと一緒に日本に伝道に来た1人 一緒に熊本に赴任し、リデルと同じ家で生活し、共に回春病院を 創設した同志。リデルが土地の購入にあたり、費用で困りノットに相談したところ、彼女 は直ちに英国の親元へ打電し必要な費用を用意した、それゆえ後年児童グランドを開設の 折り、その名称を「ノット記念児童グランド」と命名してはとの検討もなされた。夏目漱 石とも書簡のやり取りをする間柄であった。  ロンドンに帰国した後でも、1937年に作成した遺言状の中で、回春病院に寄付をするよ うに取り決められており、彼女の愛情がいかに永続的なものかが理解できる。ノットの家 系は、海軍将校と聖職者が多く、先祖には清教徒革命のクロムウエルをもっている。

► エダ・ハンナ・ライト ~Ada Hannah Wright~

ハンナ・リデルの姪であるエダ・ハンナ・ライトはスイスで教育を受けた後、1896年叔母リデルのいる日本渡った。伝道師として水戸等で奉職後、1900年からリデルの事業を援けるために来熊した。  彼女は、リデルが生涯をささげた回春病院の唯一の後継者であった。リデルの心をのみ継承することを心がけ、常に患者に対して細心心配りをして、「患者のそばにある人」として病院内に居住し、そのやさしさは人々の心からの感銘を与えた。  太平洋戦争は、ライトの思いを越えて病院の運命を大きく変えた。昭和16年2月3日病院は強制解散となった。その日ライトは「政府は私から愛する患者を奪い去った。病院は空っぽになった」とその悲痛な思いを記している。  戦後ライトは再び来熊。不自由な生活の中でも、信仰にささえられながら患者とその子供達との生活を喜びをもってすごした。このライトの日本への帰還こそ、リデル、ライト両女史の精神がこの地に福祉事業の火を絶やすことなく継続させる原動力となった。>MORE
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